『落語寄席風俗誌』 正蔵・寿山共著 展望社 より抜粋
芸人の妻として、下っ葉(原文まま)の貧乏時代から連れ添って、苦楽をともにしながら、夫を一人前にしてきた老妻たちのうちには、芸のこと、人生のことについて一家言をもつ老女が少なくない。
円朝大師の弟子一朝がまだ円楽を名乗っていたころのこと、一時彼と夫婦生活をしていた女性で、別れてのちは、円右の下座をしていた長唄のしっかりしていた芸人で、男刈り髪をしていたおばあさんが、あるとき、
「あの、おまい、噺を習うなら、円楽じじいのところへおいで。少うし皮肉で、変り者だけれども、噺はよく知っているるよ。それで、あの人ァ真打になったことがあるんだから。--真打になったことのない人に噺を教わるってぇと、噺がちぢかんじゃって、のんびりしないから。あすこへおいで。」
これが縁で、私と一朝老人の長い間のかかわりができたのである。
「あたしが幸せだったことは、一朝老人に噺を稽古してもらったことです。」
ここで云う私とは、無論正蔵。若き日の正蔵。
いや、しかし、 「噺がちぢかんじゃって、のんびりしない」の鋭さったら無い。