天本ミツバチでございます。ぶんぶんぶん。
わたくし、プレイステーション2のRPG
「我が竜を見よ」にハマっております。
「スーさん、これ(と人差し指を斜め上に向ける)行こうか。」
それはハマってるじゃなくてハマちゃんです。合・体(あはーん)。
またツカミを外していますヨ、天本さん。
「ミツバチは子供の時分からツカミが下手な子供でした」母談
さておき、「我が竜を見よ」は譲り受けた幼竜を自分好みに育成するゲームでして。
(「俺の屍を越えてゆけ」っぽいゲームな<大雑把な説明だなあ)
この竜が、見た目も健気な様もひたすら可愛い。
成長っぷりを写真撮って、会う人会う人に見せたい。語りたい。
「うちの雷蔵(と名づけた)を見て下さいよ。
やんちゃな食べ盛りでしてなあ。
とりわけ、
血まみれキティが好物なんですヨ。
や、こっちの写真も見て下さいヨ。」
まさに「我が竜を見よ」。
でもね、その「我が竜を見よ」ってタイトル、くすぐったいんですよねえ。
なんだか、気恥ずかしくて首が痒くなるんですよねえ。
岩波文庫の「ツァラトゥストラは
こう言った」は馴染めるけど、
新潮文庫の「ツァラトストラ
かく語りき」はなんか気取っててヤダな、、、
に似た感覚が呼び起こされます。
子供か、わたくしは。
なんで、そんなにエバってるンですかね、「我が竜を見よ」って。
なんで、そこまでリキんでるンですかね、「我が竜を見よ」って。
しかも、おまへ何時の時代の人なんだよ、っつー言い回しで。
こんな言い方が許されるのは、現代人では将軍様の松平健だけですヨ。
ところで、(話題に出したついでなんで)
岩波版の訳者「氷上英広」と
新潮版の訳者「竹山道雄」の
タイトルの言い回しの違いってどこから来たんですかねえ。
ほぼ同世代の人で訳した年代も近いと思われるのですが、どうだろう。
「竹山道雄明治36年(1903)生まれ」は検索するとすぐに略歴がヒットして分かったんですが、
一方の「氷上英広」が分からない(いや、まともに調べてないだけだけど)。
中島敦の親友らしいので、同い年として(無理があるなあ)明治40年だか41年生まれ辺りだと思うんですけどねえ。
話戻って「我が竜を見よ」のタイトル。
やっぱり、偉そうですヨ。
我が竜を見よ、って、アータ。
我が竜って、アータ。
見よって、アータ。
なんでそんなに偉そうなんですかねえ。
もしかして、制作関係者みな、常日頃からこんな風にエバってるンですかねえ。
何様ですか。殿様ですか。
「我が企画書を見よ」
とか云って申請したりするンですかねえ。
「苦しゅうない。承認印を押すがよい」
とか上司に言ってるンですかねえ。
承認印を押した上司に向かって
「天晴れじゃ。褒美を遣わす。」
とか言ってンですかねえ。
腰元役の由紀さおりが歳をサバ読むと顔色が変わって
「手打ちじゃあ。手打ちじゃあ。」
とか言って暴れるンですかねえ。
アホですね。
まあ、かと言って
「うちの子見てくだちゃい」
じゃ、ただの愛玩動物メロメロ馬鹿ですし。
「あたしの恥ずかしい竜を見て下さい」
じゃ、札束握り締めて飛びつくオヤジが出てきそうだし。
「おっちゃんの竜を見たってや」
じゃ、おっちゃんの股間の竜を握らされそうですし。
無難なのは、やっぱり「我が竜を見よ」ですかねえ。やっぱり。