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。はにかむ



【落語】いのちの電話チャリティ 柳家小三治独演会


2007年06月08日
九段会館 大ホール

副会長の挨拶
柳家三之助 「浮世床」
柳家小三治 「茶の湯」「かぼちゃ屋」

■副会長のご挨拶

お尻拭く会長ではありません。いのちの電話の副会長さんです。
現在350人名がボランティア登録していて、今までに掛かってきた電話は100万件以上。頭の下がる活動だなあ。

小三治を「柳家さん」「柳家さん」と呼ぶ副会長さんに、会場は笑っていいんだが真面目に聞けばいいのかどっちつかずで悩んでる空気が流れる。
かと云って「郡山さん」と呼ばれても少し困るが。

■浮世床

「落語の伝統として、始まってすぐにお目当ては出ないのです。」

伝統といえば、この話の途中に「占め子の兎」って言葉が出てきて懐かしい気持ちに。歌舞伎なんか見てると、時折この「しめこのうさぎ」や「しめこのうさうさ」なんて言葉が出てくるけれど、この時代、「しめた!」と思った時に「しめこのうさぎだ」なんて云わなくなったもんなあ。

■茶の湯

「大相撲は、あーゆー事になっています。世の中変わって行くんですなあ」で、さっさと羽織を脱ぐ。

蔵前の地名の語源だの、江戸時代の界隈の様子だのを「~と思うんですよ」と言い訳しながら語りながら、「んーふふふふ。あんまり一生懸命聞かないで」と軽く肩透かしする。「今、言ったことは全部忘れて結構です」だって。んーふふふふ。

やっぱり、どこか昭和の日本映画を思わせるプロローグ。
大旦那さんが若い頃に苦労して店を大きくした一代記を簡単にまとめて、人柄を浮かび上がらす。

なんていうんだろ。最近の小三治は役者と云うよりも、「いい役者を見つけたんだよ」と喜ぶ監督やプロデューサーの匂いがする。
「こいつで撮るのが楽しくてたまらないんだ」と、演劇経験の無い新人だけど、どうにもじわじわと魅力のにじみ出てくる、そんな人を見つけた様子というか。上手く云えないなあ。
ただ云えるのは、小三治の落語って、役者として自分が中心で舞台を見回している雰囲気では無くて、演じている人物や大道具や小道具をあらゆる角度から見つめている視線を感じる、、、ような気がする。んーふふふふ、あんまり一生懸命聞かないで。

まあ、この大旦那さんも、「小三治がやっている」と云うよりも何か特別な役者が突如舞台に現れたような気分なんですよ。どうみても小三治なのに、小三治じゃない。不思議な人だな、小三治。

そして、こないだの横浜にぎわい座の時よりも、話に入る前の描写が更に細かくなっている。
そして、記念すべき第一回目の茶の湯も、にぎわい座の時よりも青黄な粉やお茶の量が一杯ずつ増えてます。酷いね、ご隠居。

  ご隠居ブレンド(九段下会館スペシャル)の配合
  青黄な粉・・・茶杓に山盛り9杯(にぎわい座では8杯でした)
  湯・・・杓に7杯

これだけだったら、「発掘あるある大辞典」で健康にいい!って取り上げて貰えそうだけど、更に椋の皮を入れてるんだから性質が悪い。はばかり13回で済んだのが奇跡ですよ。
(いや、むしろ椋の皮入れた方が、あるある大辞典は取り上げ易いかもな「茶の湯ダイエットでデトックス!」とか言ってな)

他、つれづれ
ヒジキばらまいたような字
定吉「店賃をためてもいいが、茶の湯と言われたら飛んできてガブガブ飲め、、、って書いたらどうです」
酷いな定吉。「落語界のアイドル(志らく曰く)」なのに容赦が無い。

■かぼちゃ屋

かぼちゃ屋と言われると、どうしても。立川藤志楼のCDにボーナス・トラックならぬ「トーナス・トラック」として、このかぼちゃ屋が入っていたのを思い出してしまう。トーナストラック、、、ぷぷぷぷぷぷ。どうもダジャレに弱いんだよなあ、わたくし。


さておき、小三治のかぼちゃ屋。

「詳しい事は分かりませんがぁ」と前置きしながらいのちの電話の話に入り、続けて往復葉書で弟子入り志願をしてきた青年について語り出す。

ほんの数時間前の出来事らしい。
小三治宛に、見知らぬ差出人から往復葉書が届いたので、内容を確認するとこれが弟子入り志願。面談に都合の良い日を書いて返信するために往復葉書にしたらしい。
手間を極力取らせない為の青年なりの気遣いなんだろうけれど、話しながら渋い顔の小三治は自分が噺家になった頃に思いをはせる。

「自分の一生を棒に振るつもりで噺家になりました」と切り出す。
ここで、会場から笑いが起こるのだが、小三治は
「なぜ、笑うのか分からない」と突き放し、「私は追い詰められていました」と続ける。

「いい」大学へ入ることを強要した自分の父親との確執の話をチラリとしてから、「いい大学へ入っても、あぐら書いて空中に浮くってポスター見て騙されて入っちゃう人間のままならしょうがない。」とか「ぷらぷらしてても入れるヤツは入れるし、そこを無理をして割って入っても幸せになれない」と世の中の親達に苦言。いや、苦言と言うか、呆れているというか。

そして「その子のことを非常識だと責めるのは簡単でしょう」と往復葉書の青年の話に戻る。「どうするんでしょう彼は、、、」

そして、上手くまとめる。
「会うかどうか、いのちの電話に相談しようか、、、」

かといって、このマクラから続けて考えてみて、与太郎は与太郎のままでいいのか、、、と言えばそれは難しい話だなあ。
親やオジさんのように、親身になって世話を焼いてくれる人間がいなくなったら与太郎はどうするんだろう、、、と考えれば、無理をさせて出世させたい(出世と言っても、口に糊をするに困らない程度の社会的地位)と思うもんなあ。

与太郎の幸せは、それを支える人間がいるから幸せなんだよなあ、、、そう思うと、目の前の与太郎を見るのが少し辛い。
小三治のところに往復葉書を出した青年は、ここで小三治が突き放したとしても、自分で幸せになる土台があるしなあ。

他、つれづれ
「おめでたいな」「あけまして」
by bithoney | 2007-06-11 09:09 | :芝居浄瑠璃芋蛸南瓜
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